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広島地方裁判所 昭和56年(行ウ)10号 判決

広島県竹原市忠海町五二〇七番地

原告

吉田松右衛門

右訴訟代理人弁護士

中場嘉久二

広島県竹原市竹原町一五四八番地の一七

被告

竹原税務署長

岡平定

右指定代理人

菊池徹

右同

谷本義明

右同

藤江義則

右同

高地義勝

右同

福重光明

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が昭和四七年一一月一一日付けでした原告の昭和四五年分所得税の更正及び重加算税賦課決定を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、別表課税処分経過表の確定申告欄記載のとおり課税所得金額を零とする昭和四五年分所得税の確定申告をしたところ、被告は、同表の更正欄記載のとおり、昭和四七年一一月一一日付けで課税所得金額を四〇八二万三〇〇〇円とする更正処分(以下「本件更正処分」という。)及び重加算税額を六五五万二六〇〇円とする重加算税賦課決定処分(以下「本件賦課決定処分」という。)をした。

2  原告は、昭和四八年一月九日右各処分に対し被告に異議申立てをし、その後三月を経過しても異議申立てについての決定がなかつたので、同年六月一四日広島国税不服審判所長に審査請求をしたが、昭和五六年六月二三日に右請求を棄却する旨の裁決がなされた。

3  被告は、日本万国博覧会(以下「万博」という。)会場内に出店した食堂「広島更科」(以下「広島更科」という。)の経営者は、原告であり、広島更科の事業から生ずる所得は、原告に帰属すると認定して本件更正処分をしたが、広島更科の経営者は、訴外田畑きと(以下「田畑きと」という。)であつて原告ではなく、広島更科の事業による所得は、原告に帰属するものではない。

ちなみに、大阪府三島府税事務所長は、広島更科の経営者は、田畑きとであるとして、同人に対し昭和四五年分の個人事業税を課税している。

よつて、本件更正処分及びこれに基づく本件賦課決定処分は違法であるからその取消を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、2の各事実は認める。

2  同3のうち、被告が広島更科の経営者は、原告であり、広島更科の事業から生ずる所得は、原告に帰属するものと認定して本件更正処分をしたことは認めるが、その余は争う。

三  被告の主張

1  本件更正処分について

原告の昭和四五年分の所得金額は、別表課税処分経過表の更正欄記載のとおりであり、右事業所得は、広島更科の事業による所得であるが、広島更科の実質的経営者は、以下に述べるとおり原告であり、その事業から生ずる所得はすべて原告に帰属する。

(一) 広島更科の経営の実体について

(1) 原告は、万博会場内に飲食店を出店するには、飲食店経営の経験が必要であつたことから、原告の妻の姉にに当たる田畑きとが忠海駅前において食堂「更科」を経営していたことに着目し、同人の名義を借用して財団法人日本万国博覧会協会(以下「万博協会」という。)との間で会場内の出店について契約を締結した。

(2) 広島更科の開業資金は、原告が妻吉田きくの所有する土地建物を訴外大川大吉に代金二九〇万円で売却し、吉名信用金庫(現芸南信用金庫吉名支店)から訴外寄能光男名義で五二〇万円借り入れ、広島更科の仕入予定先から協力金を徴収するなどして、すべて原告が調達している。

(3) 原告は、広島更科の営業品目、店舗の造作、内装、調理設備の種類・設置場所等について、一人で調査、決定し、また同店の材料の仕入交渉、仕入契約の締結、仕入代金の支払、売上金の管理及び従業員の管理等をしている。

(4) 田畑きとは、広島更科において経営者としての職務に従事しておらず、同人名義の昭和四五年分の所得税確定申告書は、原告が準備した資料に基づいて原告の依頼により訴外寄能豊喜が作成したものであり、右申告による所得税は、原告が納付しており、田畑きとは右申告に全く関与していない。

(5) 右のとおり、広島更科の事業活動の基本となる資金調達、営業内容、設備の決定、売上仕入の管理等はすべて原告の責任と計算のもとに行われており、田畑きとは、その経営内容について全く知らないのであるから、広島更科の実質的経営者は、原告である。

(二) 広島更科の事業収益の享受主体について

(1) 広島銀行忠海支店に昭和四四年九月四日に開設された田畑きと名義の当座預金(口座番号二〇五番)は、広島更科の営業収益金からの入金がほとんどであるがその預入れ、払戻しは、原告やその家族が行い、電話連絡先も原告宅の電話になつている上、その預入れ及び払戻しの内容からして原告の意思で管理使用していたもので原告が田畑きとの名義を借りて自己の営業のために使用していたものであり、原告に帰属する。

(2) 同支店に昭和四五年四月九日に開設された柿原範甫名義の普通預金(口座番号五一八六番)は、広島更科の営業による収益金が入金されていたものであるが、原告の指示により、同預金から原告の支配下にある訴外吉田産業株式会社(以下「吉田産業」という。)の当座預金に振替入金され、また同預金解約時の残金六万二二五〇円は、同支店の原告名義普通預金(口座番号四九二三番)に入金され、原告が取得していることなどから、右柿原名義の普通預金の入出金の権限は、原告のみが有しており、同預金は、原告に帰属する。

(3) 更に、同支店の左記番号1ないし4記載の無記名定期預金の原資は、広島更科の売上金や協力金収入の一部であるが、同預金は、原告が現金を持参し、同支店の支店長柿原範甫に無記名定期預金にするよう依頼したものであり、また左記番号3記載の無記名定期預金証書は、原告が所持していたことからして、右各無記名定期預金は、いずれも原告に帰属する。

〈省略〉

(4) 田畑きとは、広島更科の従業員として原告から給料の支払を受けただけであつて、広島更科の利益分与も名義貸料も受領していない。

(5) 右のとおり、田畑ときは、広島更科の事業から生じた収益を全く享受しておらず、右収益金等を入金した各預金は、原告に帰属するから、右収益を享受したのは原告である。

(三) 広島更科の取引先関係者の認議について

広島更科の仕入先の経営者や従業員、取引銀行の職員、その他の関係者は、原告を広島更科の経営者と認識ししていた。

(四) 田畑きと及び原告の国税査察官に対する供述について田畑きと及び原告は、原告に対する査察調査において、国税査察官の質問に対し広島更科の経営者は、田畑きとではなく、原告であると供述しているが、右供述は、いずれも平穏裡に任意になされたものであり、信ぴよう性を有する。

(五) 大阪府三島府税事務所長の事業税賦課決定について右府税事務所長は、地方税法七二条の五〇第二項特段により広島更科の事業を原告及び田畑きとの共同経営と認定して個人事業税の課税を行つているが、同所長が被告の昭和四七年一一月一一日付け更正に伴う同条の五〇第一項本文の規定による処理を行えば、同所長の判断は、被告の判断と一致するものであり、右処理が未済である結果、同所長の認定が被告の認定と異なるにすぎない。

以上のとおりであるから、広島更科の実質的経営者は、原告であり、その事業から生ずる所得は、すべて原告に帰属すると認定してなした本件更正処分には、何ら違法はない。

2  本件賦課決定処分について

原告は、広島更科の売上金について万博協会が指定した金融機関に預入れをしなければならないのに、一部を除外し、右除外部分に係る記帳をなさず、右除外部分を除いた収入金額を基礎として故意に所得を過少に計算し、かつ田畑きと名義により確定申告したものであるから、右は、国税通則法六八条に規定する課税標準等の計算の基礎となる事実の全部又は一部を仮装し又は隠ぺいし、その仮装し又は隠ぺいしたところによつて課税標準等を計算し、これに基づいて過少に申告を行つたものというべきであり、広島更科に係る事業所得の金額を加算して行つた更正による増差税額を基礎として、同法にしたがつて重加算税を賦課決定したものであつて、右処分には、何らの違法も存しない。

四  被告の主張に対する認否及び原告の反論

1  被告の主張1の冒頭の事実のうち、広島更科の事業による所得金額が被告主張のとおりであることは認めるが、右事業所得が原告に帰属することは否認する。同(一)の(1)のうち、田畑きとの名義で万博協会との間で出店契約が締結されたことは認めるが、その余は否認する。

広島更科の出店に関して、万博協会と契約を締結したのは田畑きとであり、原告は、同人より同店の経営を委任された総支配人に過ぎない。

2  同(2)は否認する。広島更科の開業資金は、原告が総支配人として、芸陽信用金庫吉名支店と相談し、訴外三宝光司所有の不動産を担保提供して、訴外寄能光男が同金庫から融資を受け、これを田畑きとが借り入れて調達したものである。

3  同(3)のうち、原告が広島更科の仕入れ、従業員の管理等を行つたことは認めるが、その余は否認する。

原告が行つた材料仕入れ、従業員の管理等は、すべて総支配人としての原告に委ねられた行為の範囲内でしたものであり、経営上の重要問題については、必要の都度田畑きとと相談してその承諾を得ていた。

4  同(4)のうち、原告が田畑きとの所得税の確定申告の資料を準備し、同人名義で確定申告書を提出したことは認めるが、その余は否認する。右提出は、同人の承認を受けた上でしたものである。

5  同1の(二)、(三)は否認する。

6  同1の(四)のうち、田畑きと及び原告が国税査察官の質問に対し、広島更科の経営者は原告であると供述したことは認めるが、その余は否認する。

田畑きとは、法律上の経営者の意味を正しく理解しないで、国税査察官の強要、強迫及び誘導によつて供述したものであり、真実を述べたものではない。

原告も、国税査察官の強要、強迫及び誘導によつて供述したものであり、また当時原告が別件の刑事事件で保釈中であつたため、脱税事件として告発されることを恐れて、国税査察官の質問てん末書に署名捺印したものであり、真実を述べたものではない。

7  同2は争う。

第五証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1、2の各事実及び同3のうち、被告が広島更科の経営者は、原告であり、その事業から生ずる所得は、原告に帰属するものと認定して本件更正処分をしたことは当事者間に争いがない。

二  そこで、本件更正処分の違法性の有無について、以下判断する。

広島更科の事業による所得の金額が被告主張のとおりであることは当事者間に争いがないので、同所得が原告に帰属するものであるか否かについて検討する。

1  広島更科の経営の実体について

(一)  成立に争いがない乙第一ないし第三号証(広島国税局収税官吏大蔵事務官下方義美作成の原告に対する質問てん末書)、第四号証(同大蔵事務官遠藤登芽夫作成の田畑きとに対する質問てん末書)第九号証によると、原告は、昭和四四年三月万博協会に対し万博会場内に飲食店を出店する契約の申込みをするに当たり、右出店については、飲食店経営の経験が必要であつたところから、当時忠海駅前で食堂「更科」を経営していた田畑きと(妻の姉)に依頼してその名義を借り、同人から印鑑及び印鑑証明書を預つて、同人名義で申込みをした上、万博協会との間で広島更科の出店契約を締結した(なお、原告は、右申込みに当たり、田畑きとの名義のほかに妻きくの名義でも申込みをしていたが、同名義のものについては、選にもれ、契約締結に至らなかつた。)ことが認められ、右認定に反する証人田畑きとの証言及び原告本人尋問の結果は、前掲各証拠に照らして措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

原告は、乙第一ないし第四号証は、いずれも国税査察官の強要、強迫及び誘導によつて作成されたものであつて、信用性はないと主張し、原告は、本人尋問において、原告に対する所得税違反けん疑事件の調査において、係官に何回も責められ、脱税を刑事事件として立件して逮捕すると強迫されたために、虚偽の供述をしたと述べ、証人田畑きとは、係官の質問を受ける前に、国税局係官が原告方や銀行に赴き、ひどい脅しをしたことを原告らから聞いたり、新聞で見ていたため、係官の質問に動転し、虚偽の供述をした旨証言している。

しかしながら、前掲乙第一ないし第三号証及び証人青木頼夫の証言によると、広島国税局収税官吏下方義美は、昭和四七年三月から同年六月にかけて、原告に対する所得税違反けん疑事件の調査で、同国税局査察課において原告に質問し、質問てん末書(乙第一ないし第三号証)を作成したが、右質問調査は、終始平穏裡になされ、その間、強要、強迫、誘導等の無理な調査はなかつたことが認められるのであつて、右原告本人尋問の結果は、とうてい信用できない。

次に、前掲乙第四号証及び証人遠藤登芽夫の証言によると、同国税局収税官吏遠藤登芽夫は、昭和四七年二月二二日右けん疑事件の調査で、田畑きと方において同人に対し質問し、質問てん末書(乙第四号証)を作成したが、その際、同人は、終始冷静な態度ですらすらと応答したことが認められ、また、成立に争いのない乙第二二、第二五号証によると、右けん疑事件により原告宅の検査が行われたのは、田畑きとに対する質問調査の日と同じ昭和四七年二月二二日であり、広島国税局が右けん疑事件により原告方を強制調査した旨の新聞報道がなされたのは、田畑きとに対する質問調査の日より後の同月二五日であることが認められ、右によれば、田畑きとが質問を受けた時点において、証言するような気が動転する原因となる事実を知つていたというのは不自然であり、証人田畑きとの前記証言は信用できない。

(二)  前掲乙第一、三号証、成立に争いがない乙第五、第七、第八号証及び原告本人尋問の結果によると、原告は、広島更科の出店に当たり、昭和四四年六月二七日妻きく所有の土地、建物を訴外大川大吉に代金二九〇万円で売却し、同年九月までに右代金を受領し、同年八月及び翌四五年二月に訴外吉名信用金庫(現芸陽信用金庫吉名支店)から、知人の訴外三宝光司所有の不動産に抵当権を設定し、知人の訴外寄能光男の名義で合計五二〇万円を借り入れ(原告名義で借入れをしなかつたのは、当時、原告所有の不動産は、多額の債務の担保に供され、原告名義で借入れをすることができなかつたためである。)、更に広島更科の仕入予定先である大塚製薬等から協力金(スポンサー料)を徴収し、右売却代金、借入金、協力金等を開業資金に充てたことが認められる。証人田畑きとは、同人が吉田産業の社長恩田から五八〇万円を借り受け、開業資金を調達した旨証言しているが、借用証書、その他右借受けを裏付ける資料もなく、右証言は信用し難く、また原告本人尋問の結果中、右認定に反する部分は、前掲他の証拠に照らして採用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(三)  前掲乙第一ないし第四号証、成立に争いがない乙第一〇、第一一、第一四、第二四号証によると、次のとおり認められる。

原告は、昭和四四年三月万博協会に出店申込みをした後、翌四五年三月に開店するまでの間、広島更科の販売品目、店舗の内装、調理設備の内容等を決定するため、日本全国を回つて原材料の仕入価格、各地の軽食堂の店舗の設置、内装、調理設備の状況等を調査研究した。原告は、当初、魚類を使つた定食類を販売することを考えていたところ、右調査の結果、魚類の輸送、鮮度の維持、調理加工に難点があることが判明したため、中華風ランチやラーメンを販売することに決定するなどしたのであつて、広島更科の販売品目、店舗の内装、調理設備の内容等は、原告の意思のみで決定され、右決定に田畑きとが関与した形跡は全くない。

広島更科は、麺類をのせや製麺より仕入れたが、右仕入先、仕入価格を決定したのは原告である。また、訴外池田有造は、昭和四五年三月広島更科の会計係として雇われたが、右雇入れや給料を決定したのも原告である。更に、田畑きとの娘である訴外村田初子は、広島更科の店舗の一角を借り、歩合金として売上高の二〇%を納入する約束で、ソフトクリーム類を販売したが、右販売の許可を得る話合いをしたのは、母親の田畑きとではなく、原告であつた。そして、広島更科の日日の売上については、原告に報告され、原告が二男の訴外吉田基に売上金を管理させ、買掛金の支払は、原告の指示により小切手又は現金でなされた。

右のとおり、広島更科の仕入先の決定、仕入契約の締結、営業活動、売上金の管理、仕入代金の支払、従業員の管理等は原告が行つていた。

(四)  前掲乙第四号証及び成立に争いがない乙第一五号証によると、田畑きとは、万博期間中、広島更科の従業員宿舎及び事務所用に借りていた吹田市内のマンシヨンに寝泊りしながら、広島更科の仕事に従事したこと、しかし、同人は、当時高血圧であつたため、広島更科の店舗の手伝はせず、右従業員宿舎及び事務所の掃除、従業員の炊事、事務所の電話番、広島更科の店舗でソフトクリーム類の販売に従事していた娘村田初子の子供の守りをし、給料として月額五万円のほか、月額五〇〇〇円ないし一万円の報奨金(広島更科の売上成績の良い月に従業員に特別に支給されていた。)を支給されていたこと、田畑きとは、広島更科の営業について報告を受けたり、指示、命令を発したりしたことはなかつたことが認められ、証人田畑きとの証言中、右認定に反する部分は、信用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

また、前掲乙第二、第四号証、成立に争いがない乙第六号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第一八号証の三によると、田畑きと名義の昭和四五年分所得税確定申告書は、原告の依頼により原告の準備した資料に基づいて訴外寄能豊喜が作成し、竹原税務署に提出したものであつて、田畑きとは、原告より同人の名前で確定申告をすると知らされたが、その際、原告に「申告は原告がして、自分に税金がかからないようにしてほしい。」と伝えたのみで、申告の内容は知らず、右申告による所得税は、原告が負担し納付したことが認められ、証人田畑きとの証言及び原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は信用し難く、他に右認定に反する証拠はない。

(五)  以上の認定によれば、広島更科の事業活動の基本となる出店契約の締結、開業資金の調達、営業内容、店舗設備の決定、仕入れ、売上の管理、従業員の雇入れ等は、すべて原告の責任と計算のもとに行われており、他方、田畑きとは、原告に依頼されて名義を貸したのみで、広島更科の経営内容については全く知らず、その事業について報告を受けたり、これに対して指示、命令をするなどの経営者としての活動は一切していないのであるから、広島更科の実質的経営者は、原告であると認めるのが相当である。

原告は、自分は、田畑きとより広島更科の経営を委任された総支配人に過ぎない旨主張し、これに添う証拠として甲第一号証(田畑きとが原告に広島更科の支配人を委嘱する旨の書面)のほか、甲第八ないし第一三号証を提出し、原告本人尋問の結果及び証人田畑きと、同村田初子の各証言中には、右主張に添う部分がある。しかしながら、証人田畑きとは、甲第一号証(ただし、第七項の部分を除く。)は、昭和四四年八月一〇日に作成したものであると証言しているが、同証人の証言中には、甲第一号証は、昭和五六年一月五日に再確認した文書であり、昭和四四年に甲第一号証と同じ文書があつたかどうかは忘れた旨の部分もあつて、この点に関する同証人の証言は、あいまいである。のみならず、同証人は、甲第一号証中、同人の署名以外の部分の筆跡は、広島更科の事務所にいた池田有造か吉田基のものであると証言しているところ、前掲乙第一四号証によると、右事務所が開設され、池田有造が右事務所に勤務するようになつたのは、昭和四五年三月以降であることが認められるから、甲第一号証の作成時期についての証人田畑きとの前記証言部分は信用し難く、甲第一号証は、後日本件訴訟のため作成された疑いが濃厚であり、信ぴよう性に乏しいといわざるをえない。

また、前認定の広島更科の経営の実態に照らし、甲第一三号証、前記各証言及び原告本人尋問の結果は措信し難いまた、甲第八ないし第一二号証は、原告が実質的経営者である旨の前記認定判断を直ちに妨げるものとは認められない。

2  広島更科の事業収益の享受主体について

(一)  前掲乙第二ないし第四号証、成立に争いのない乙第一二、第一三号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第一八号証の一ないし八、第一九号証の一、二、第二〇号証及び原告本人尋問の結果によると、次のとおり認められ、これを覆えすに足りる証拠はない。

(1) 原告は、広島更科の開店に当たり、田畑きと名義で三和銀行万博出張所、福徳相互銀行生野支店に預金口座を開設し、広島更科の仕入先からの協力金や売上金を入金し、これから万博協会に対する売上納付金のほか、広島更科の仕入代金や諸経費を支払つていた。

(2) 広島銀行忠海支店の田畑きと名義の当座預金口座は、昭和四四年九月四日忠海海水浴場吉田松右衛門名義の普通預金口座(原告は、忠海海水浴場で軽食堂を経営しており、右預金口座は、右経営のため開設したものである。)から六万円が振替入金され、開設されたものであるが、同口座の電話連絡先は、原告方となつていた。また、同預金口座への入金は、原告が広島更科の営業収益金を前記三和銀行の預金口座等から送金するなどの方法で入金したものがほとんどであり、他方、田畑きとの右当座預金口座から、昭和四五年一月に二回にわたつて、原告が常務取締役として経営に当たつていた吉田産業の広島銀行忠海支店の当座預金に入金されているほか、同年五月一二日には、五二万円が竹原信用組合の原告の別段預金にいつたん入金された上、五〇万円が同信用組合の原告名義の定期預金に預け入れられている。右当座預金は、昭和四六年四月二日に解約されたが、解約時の残金は、同日開設された原告名義の広島銀行忠海支店の当座預金に入金されている。以上のような田畑きと名義の当座預金の入出金の状況からして、原告がこれを開設し、管理、使用していたことが明らかであり、田畑きとは、右預金口座が開設されていたことは知らなかつたのであつて、同預金は、原告に帰属していたものである。

(3) 広島銀行忠海支店の支店長をしていた訴外柿原範甫は昭和四五年四月吉田産業振出の手形が同支店に支払呈示された際、決済資金が不足したため、原告の家族に入金方を依頼したところ、原告が万博会場から柿原支店長に電話をし、支店長宛に送金するから、原告の連絡に基づいて吉田産業又は田畑きとの口座に分割して預け入れるように依頼したので、同支店長は、事務処理上の便宜から柿原範甫名義の普通預金口座を開設した。同預金には、広島更科の営業による収益金が送金入金されたが、原告の指示により同預金から田畑きと名義の前記当座預金に振替入金されたほか、原告が経営に当たつていた吉田産業の当座預金に預替えがなされた。柿原名義の預金口座は、昭和四六年一月一三日解約されたが、解約時の残金は、広島銀行忠海支店の原告名義の普通預金口座に入金されている。右のような柿原範甫名義普通預金の開設の経緯、入出金の状況から同預金の入出金の権限は、原告のみが有していたものであつて、同預金は、原告に帰属する。

(二)  前掲乙第三、第二〇、第二二号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第二一号証及び原告本人尋問の結果を総合すると、原告は、昭和四五年八月一〇日頃柿原支店長を訪ね、持参した広島更科の収益金である現金三〇〇万円を誰にもわからない預金にするように依頼したので、同支店長は、同月一一日から同月一五日にかけてこれを三口に分割し、被告の主張1、(二)、(3)の記の番号1ないし3記載の無記名定期預金に預入れたこと、同番号4記載の二〇〇万円の無記名定期預金も右と同様にして預入れられたものであること、広島国税局が昭和四七年二月二二日原告に対する所得税違反けん疑事件により原告方を検査した際、右番号3記載の預金証書が発見されたことが認められ、右によれば、右各無記名定期預金は、原告に帰属していたものと認めるのが相当である。

(三)  前掲乙第四号証、第一八号証の七によると、田畑きとが万博開催当時、自分で管理、保有していた預貯金は、(1)広島銀行忠海支店の同人名義の普通預金、(2)忠海郵便局の同人名義の貯金、(3)千里山郵便局の同人名義の貯金であるが、右(1)は、田畑きとが忠海駅前で経営していた食堂「更科」関係の預金、右(2)は、同人の亡夫の扶助料が入金されていた貯金、右(3)は、同人が前記のとおり広島更科に勤め、支給を受けた給料が入金されていた貯金であつて、同人が管理、保有していた右預貯金に広島更科の収益金が入金された形跡はないこと、同人は、給料の支給を受けたのみで、広島更科の利益分与も名義貸料も受領していないことが認められる。証人田畑きとの証言中、右認定に反する部分は、前掲証拠に照らして信用し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(四)  以上の認定に照らせば、田畑きとは、広島更科の事業から生じた収益を全く享受しておらず、右事業の収益金を入金した各預金は、いずれも原告に帰属し、右事業による収益は、原告がこれを享受したものと認められる。

3  広島更科の事業による所得の帰属について

以上認定の広島更科の経営の実体、事業から生ずる収益の享受主体にかんがみると、田畑きとは、広島更科の単なる名義人であつて、その収益を享受せず、原告がその収益を享受し、広島更科の実質的経営者であつたものと認められるから、その事業所得は、原告に帰属するものというべきである。

成立に争いのない甲第三ないし第七号証によると、大阪府三島府税事務所長は、原告が広島更科の(共同)経営者であるとして、原告に対し昭和四五年分の個人事業税を課していることが認められるが、同府税事務所長において地方税法七二条の五〇第一項本文の規定により、被告が原告に対してなした昭和四七年一一月一一日付け更正に従つて事業税を課する処理を行えば、同府税事務所長と被告の判断は一致する筋合いであるから、田畑きとに対する右事業税賦課処分は、前記認定判断の妨げとなるものではないというべきである。

以上のとおりであるから、広島更科の事業から生ずる所得は、原告に帰属すると認定してなした被告の本件更正処分には、何らの違法もなく、適法なものと認められる。

三  次に、本件賦課決定処分の違法性の有無について判断する。

前掲乙第一ないし第三号証及び弁論の全趣旨によると、原告は、広島更科の売上金について、前記無記名定期預金に預入れるなどの方法によりその一部を除外し、右除外部分に係る記帳をなさず、右除外部分を除いた収入金額を基礎として所得を過少に申告し、かつ田畑きと名義で確定申告したものと認められる。右によれば、原告は、所得税の課税標準の計算の基礎となるべき事実の全部又は一部を隠ぺいし、又は仮装し、その隠ぺいし、又は仮装したところに基づき納税申告書を提出したものと認められるから、右は、国税通則法六八条一項の規定に該当する。

そうすると、同条に基づいてなされた本件賦課決定処分には、何ら違法はなく、適法というべきである。

四  以上の説示に照らせば、原告の本訴請求は、いずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 高升五十雄 裁判官 平弘行 裁判官 重富朗)

別表

課税処分経過表

〈省略〉

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